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自然の美をキャンバスに数多く残したクロード・モネ(Claude Monet)。モネの名画は、フランスだけでなく、日本、アメリカをはじめ全世界で多くの人に愛されています。開催された印象派展やモネ展の特設コーナーで、復恍画を展示させていただくと、他のどの画家の作品よりもご注文をいただいた作品はモネによるものでした。ここではモネの作品のエッセンスになるよう、画家モネにクローズアップして特集します。

クロード・モネ、画家の軌跡

ル・アーヴルの日の入り

空を描いたブーダンの作品

クロード・モネは自然の中で輝く陽光の美しさや色彩を作品にとどめ、光の探求と表現に生涯を捧げた画家でした。
モネは1840年にパリで生まれ、5歳の頃家族とともにフランス北西部の港町、ル・アーヴル(Le Havre)に移り住み少年時代を過ごしました。ここで先輩画家ウジェーヌ・ブーダン(Eugene Boudin)に才能を見出され、戸外で制作する素晴らしさを教わります。それが画家モネの運命を決定づけることになります。

 

復恍画にたずさわる技術者や職人のモットーは、「If not original, then this is the one (もし原画でなければ、これこそである)」。
イタリアのクラフトマンシップが徹底し、原画が持つ魂と感動をよみがえらせることに力を注ぎます。好きな絵画を目に触れる喜びが彩りながら、それを所有できる満足感も、また同時に絵画を所蔵する美術館の公認のもと還元されていることから、所有することで美術館を応援している充実感も得られます。
実際の名画と呼ばれる西洋絵画は、その希少性により購入できない場合やしようとしても相場が数十億円から何百億円であったり、また日本の通常の壁には大きすぎることも多いのが現状です。復恍画の場合は、その1万分の一から1000分の一という求めようと思えば手が届く価格で、自分の好きな作品をサイズも飾りたい壁に合わせてカスタムオーダーで購入することが可能です。
現代では同じ作品を描こうとしても描けない歴史に名を残した天才画家たちの名画を、その魅力を余すところなくご自宅やオフィスなどで楽しめるのは、復恍画の大きな魅力といえるでしょう。

目覚めたモネは、19歳でパリに出て、本格的に画家への道を歩み始めました。1862年シャルル・グレール(Charles Gleyre)のアトリエに入り、そこで後の印象派を代表する画家たちルノワール(Pierre-Auguste Renoir)やバジール((Jean Frederic Bazille)、シスレー(Alfred Sisley)らと出会います。当時の美術界は保守的で、唯一の作品発表の場とも言えるサロンでは、アトリエで丁寧に仕上げた写実的な歴史画や神話画などが模範的な芸術とされていました。こうした現状に不満を抱いたモネは、志を同じくする画家たちとグループを作り、大胆でありながら光に満ち溢れた作品を描き続けていきます。

一方後に印象派の父と呼ばれたエデュアール・マネ(Edouard Manet)は、1863年サロンで発表した《草上の昼食》でスキャンダルを巻き起こしていました。モネはこの衝撃的な作品に感銘を受けて、1866年同じ題材で《草上の昼食》を描いたのでした。この作品は、画家モネ初期の代表作として知られ、当時交流のあったクールベも描かれています。

モネは、後半生をジヴェルニーで安住しましたが、その前はよく旅をし、旅先の風景を描きました。最初の旅行は、1870年に半年間滞在したロンドンでした。モネはここで霧や粉塵によって視界の霞んだロンドンの風景に出会いました。また、モネはロンドンでイギリス風景画の巨匠ターナー((Joseph William Turner)らの作品からも大きく影響を受けます。

モネ《テームズ川と国会議事堂》(左)、ターナー《戦艦テメレール号》(右)

そしてオランダを経由し1872年フランスに帰国後、パリから鉄道で15分のセーヌ河沿いの町アルジャントゥイユに移住し、1878年まで住みました。アルジャントゥイユは、セーヌでの川遊びなどのレジャーでにぎわう行楽地で、モネは170点以上の作品を制作しています。

そして1873年、モネ32 歳の時。後に印象派の誕生を告げる記念すべき作品《印象、日の出》(東京都美術館モネ展にて21年ぶりの出品)は、少年時代の故郷ル・アーヴルの港で描かれました。早朝のル・アーヴルの港に昇る太陽と、朝もやの中でその光で染められる空と海。前景には小舟が浮かび、後景には大型の船が表され、船や人物は曖昧に描かれています。ただ、描かれた当初この作品はタイトルをもたず、モネは訊ねられて初めて「印象」と名付けて欲しいと答えたそうです。モネが描きたかったのは、港の空気や朝もやの中昇り始めた太陽の光が映された海といった、留めておくことが難しい印象そのものだったのでしょう。

マルモッタン美術館所蔵、モネ《印象・日の出》

この作品は、1874年に開かれた「画家、彫刻家、版画家等による共同出資会社」による第1回展覧会で展示されます。この展覧会に対して批評家ルイ・ルロワが『ル・シャリヴァリ』誌に発表した「印象派の展覧会」という批評をきっかけに、モネら新しい表現の画家たちは「印象派」と名付けられました。そしてこの展覧会は後に第1回印象派展と呼ばれるようになりました。それから長い年月をかけて、印象派の画家たちの作品は徐々に世間に認められるようになりました。

そしてモネも、《積みわら》や《ルーアン大聖堂》の連作などを手掛け、画家としての名声を手にしていきます。

「迫力」、「極み」、「重み」。存在感を感じられるということ

「存在感」、「極み」、「重み」を感じられます原画に忠実であること―。その徹底ぶりは、画材選びと土台づくりからはじまります。環境に優しい原料を厳選し、原画がキャンバスであればキャンバスで、原画が木板の場合は木板で起します。1点ずつ職人が時間を掛けて土台をつくり、その手間を省かない工程のひとつひとつが機械製造の生産と一線を画す仕上がりをもたらします。そうして生み出された復恍画は、大量生産での複製画などとは別格のこれまでにない品質と存在を誇ります。原画に忠実に接し生まれた復恍画には、画家の創造的な特質、絵画の細部、本格的な額の手彫りの部分に至るまで、感動的要素が備わります。本場イタリアで、歴史と伝統の重み、職人たちの熱意と技術が、芸術作品として込められ、複製画ではなく復恍画と呼ばれる背景です。


また、 アルテ・キアラの高い品質にふさわしい額は、最高のハンドメイドフレームと考えました。トスカーナのひまわり畑に所在する額装工房では、妥協を許さない額装職人が、ひとつひとつ丁寧に創り上げています。この工房は高品質の額縁を創ることで知られ、アンティークのディーラーや個人収集家だけでなく、イタリア、ドイツ、アメリカの美術館へも原画用の額装を供給しています。典型的なイタリアのファミリー経営によって営まれており、代々受け継がれてきたクラフトマンシップの確かな手仕事で、アルテ・キアラの額装を仕上げています。 アルテ・キアラでは、表面の風合いも最大限味わっていただくために、あえて表面を覆わず、代わりに表面に直接の見えない紫外線保護を施しています(ご希望によってはガラスやアクリルをお付けします)。表面に近づくことの許されない美術館所蔵の原画でも、復恍画では、表面を指で触れる鑑賞もお楽しみいただけます。

アルテ・キアラの復恍画をお求めいただけるのは、こちらのオンラインショップと弊社の復恍画を扱っていただいているショップ様のみです。現在、大阪の「あべのハルカスミュージアムショップ」、東京・上野の東京都美術館「THE MUSEM SHOP」、東京・銀座の「MMM、メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド」、シンガポールの高級モール内画廊「TOKYO GALLERY」、通販「朝日新聞SHOP」でご注文いただけます。その他ご希望の方もお気軽にお問い合わせください。

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