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克劳德·莫奈特集


自然の美をキャンバスに数多く残したクロード・モネ(Claude Monet)。モネの名画は、フランスだけでなく、日本、アメリカをはじめ全世界で多くの人に愛されています。開催された印象派展やモネ展の特設コーナーで、復恍画を展示させていただくと、他のどの画家の作品よりもご注文をいただいた作品はモネによるものでした。ここではモネの作品のエッセンスになるよう、画家モネにクローズアップして特集します。


クロード・モネ、画家の軌跡


クロード・モネは自然の中で輝く陽光の美しさや色彩を作品にとどめ、光の探求と表現に生涯を捧げた画家でした。
モネは1840年にパリで生まれ、5歳の頃家族とともにフランス北西部の港町、ル・アーヴル(Le Havre)に移り住み少年時代を過ごしました。ここで先輩画家ウジェーヌ・ブーダン(Eugene Boudin)に才能を見出され、戸外で制作する素晴らしさを教わります。それが画家モネの運命を決定づけることになります。

ル・アーヴルの日の入り


空を描いたブーダンの作品

目覚めたモネは、19歳でパリに出て、本格的に画家への道を歩み始めました。1862年シャルル・グレール(Charles Gleyre)のアトリエに入り、そこで後の印象派を代表する画家たちルノワール(Pierre-Auguste Renoir)やバジール((Jean Frederic Bazille)、シスレー(Alfred Sisley)らと出会います。当時の美術界は保守的で、唯一の作品発表の場とも言えるサロンでは、アトリエで丁寧に仕上げた写実的な歴史画や神話画などが模範的な芸術とされていました。こうした現状に不満を抱いたモネは、志を同じくする画家たちとグループを作り、大胆でありながら光に満ち溢れた作品を描き続けていきます。

一方後に印象派の父と呼ばれたエデュアール・マネ(Edouard Manet)は、1863年サロンで発表した《草上の昼食》でスキャンダルを巻き起こしていました。モネはこの衝撃的な作品に感銘を受けて、1866年同じ題材で《草上の昼食》を描いたのでした。この作品は、画家モネ初期の代表作として知られ、当時交流のあったクールベも描かれています。

 

《草上の昼食》(左)、《庭の女たち》(右)

モネは、後半生をジヴェルニーで安住しましたが、その前はよく旅をし、旅先の風景を描きました。最初の旅行は、1870年に半年間滞在したロンドンでした。モネはここで霧や粉塵によって視界の霞んだロンドンの風景に出会いました。また、モネはロンドンでイギリス風景画の巨匠ターナー((Joseph William Turner)らの作品からも大きく影響を受けます。

 
モネ《テームズ川と国会議事堂》(左)、ターナー《戦艦テメレール号》(右)

そしてオランダを経由し1872年フランスに帰国後、パリから鉄道で15分のセーヌ河沿いの町アルジャントゥイユに移住し、1878年まで住みました。アルジャントゥイユは、セーヌでの川遊びなどのレジャーでにぎわう行楽地で、モネは170点以上の作品を制作しています。
 
《アルジャントゥイユの船着場》(左)、《アルジャントゥイユのレガッタ》(右)

 
《アルジャントゥイユの橋》(左)、《アルジャントゥイユ》(右)

そして1873年、モネ32 歳の時。後に印象派の誕生を告げる記念すべき作品《印象、日の出》(東京都美術館モネ展にて21年ぶりの出品)は、少年時代の故郷ル・アーヴルの港で描かれました。早朝のル・アーヴルの港に昇る太陽と、朝もやの中でその光で染められる空と海。前景には小舟が浮かび、後景には大型の船が表され、船や人物は曖昧に描かれています。ただ、描かれた当初この作品はタイトルをもたず、モネは訊ねられて初めて「印象」と名付けて欲しいと答えたそうです。モネが描きたかったのは、港の空気や朝もやの中昇り始めた太陽の光が映された海といった、留めておくことが難しい印象そのものだったのでしょう。


マルモッタン美術館所蔵、モネ《印象・日の出》

この作品は、1874年に開かれた「画家、彫刻家、版画家等による共同出資会社」による第1回展覧会で展示されます。この展覧会に対して批評家ルイ・ルロワが『ル・シャリヴァリ』誌に発表した「印象派の展覧会」という批評をきっかけに、モネら新しい表現の画家たちは「印象派」と名付けられました。そしてこの展覧会は後に第1回印象派展と呼ばれるようになりました。それから長い年月をかけて、印象派の画家たちの作品は徐々に世間に認められるようになりました。

そしてモネも、《積みわら》や《ルーアン大聖堂》の連作などを手掛け、画家としての名声を手にしていきます。


《積みわら》の連作

モネとジヴェルニー、代名詞《睡蓮》の連作
モネは、ル・アーヴルやパリでの制作活動の後、列車の窓から見た景色の美しさに心奪われ、このパリ郊外ノルマンディー地方のジヴェルニーを安住の地として選びました。そう、モネの人生後半の作品で描かれた庭の所在地です。


ジヴェルニー、モネが住んでいた当時の家と庭に立つ本人


再現された現在のモネの庭園(水の庭)

ジヴェルニー「モネの家と庭」は現在モネの多くのファンが訪れる観光地となっていますが、モネが1883年、43歳で住み始めた時は人口わずか300人の土地でした。
モネはまるで庭師のように自ら徐々に造園していき、後に土地を買い足し、水を引いて池をつくりました。これが後の睡蓮の題材をもたらす「水の庭」と呼ばれる場所になります。
彼は結局生涯の半分をこの庭とアトリエのある邸宅で過ごしたことになり、創作以外のほとんどの時間を庭仕事にあてていたといいます。庭自体がモネの作品といわれるように、自ら草花や木の種類を選んで庭に植えていき、それはまさに自分のキャンバスの上に絵を創作するようでした。創作のため長期に家を空ける時に家族に宛てた手紙の中でも、庭の手入れや庭師への指示に触れ、この庭への慈しみを手放すことがなかったそうです。モネの死後、放置された庭はいったん荒れ果てたものの、それを悼む多くの協力者により再現され、現在訪れることができます(4月~10月末の期間一般公開)。
またジヴェルニーの家では、モネが1870年頃から収集した浮世絵のコレクションを見ることもできます。


モネの浮世絵コレクションの一部

モネは睡蓮を題材にした絵画を250点以上も描いています。ジヴェルニーで描き始めた当初は、池の周りの木や橋などの風景を捉えた作品を描いていたモネでしたが、次第に興味対象は移り変わり、水面と睡蓮を題材にした作品を手掛けるようになっていきました。幾度も幾度も睡蓮に向き合うモネ。同じモチーフの作品を描くことで、季節や時間とともに変化する光の効果を捉えようとしました。季節や天気、時間帯によって異なる太陽の光の変化により、移り変わる空の色や雲の動き、木々の存在、太陽の光、水面下の世界などを表現していきます。モネは、「すべては千変万化する、石でさえも」という言葉を残しています。

モネ晩年、第一次世界大戦が終わり、休戦協定が1918年11月11日に締結された翌日、友人である当時のジョルジュ・クレマンソー首相に次のような手紙を送りました。「私は2作の壁画を完成させるところで、戦勝の日にサインを入れたいと思う。ついては、この作品を貴方を通じて国に寄贈してもらいたい。わずかではあるが、私にとって国全体の喜びを分かち合うためにできる唯一のことだ」
モネはクレマンソー首相を通じて、大連作《睡蓮》の国家への寄贈を提案します。自らの人生の最後を託した、《睡蓮》の壁画で一室を飾るという壮大な計画。これが後のパリのオランジュリー美術館の2部屋を占める《睡蓮》の大壁画となり、長年に渡る改装工事を経て、現在自然光を入れるというモネ自身の意向が反映された形で鑑賞することができます。


オランジュリー美術館、モネ《睡蓮》の一部

モネは1926年86歳で死去するまで、ジヴェルニーの庭を描き続けました。70代後半に白内障を患ってからモネが描いた作品は、ときに激しいタッチと強烈な色彩で描かれていきました。
モネ自身の最後の約10年間に描かれた《睡蓮》《日本の橋》《バラの小道》《藤》《バラの庭から見た家》などの作品は、いずれもジヴェルニーの庭で連作として制作されたものですが、それらの多くは何が描かれているかを判別するのが一見難しくなっていきます。こうした作品には白内障の影響もうかがえますが、手術後のモネは近距離では十分な視力があったともいわれ、自身の筆の運びは十分に認識できていたと考えられています。

白内障の手術後も破棄されず、モネが生涯手放さずに残した作品の中には抽象的な表現のものも多いのです。これが後の抽象画への開眼ともいわれ、これらの連作は、モネが印象派の画家に留まることなく前衛であり続けたことを示しています。

 
日本の橋(左)、アガパンサス(右)

 
睡蓮(左)、睡蓮(右)

 
アイリス(左)、薔薇(右)

 
モネ晩年の作品 薔薇の庭園から見る画家の家(左)、ジヴェルニーの日本の橋(右)

「・・・私はひたすら現象をぎりぎりのところまでとらえようと努力しています。というのは、現象が知られざる実在とふかく関わっているからです。対応する現象を追求していれば、実在、少なくとも私たちが知りうるかぎりの実在から離れてしまうことはないと思います。私がしてきたことは、ただ私の目の前にしめされる万象を見つめること、絵筆をとおして万象に立ち会うことだけなのです。」(モネが友人クレマンソーに宛てた手紙より)

オランジュリー美術館、オルセー美術館、マルモッタン美術館、メトロポリタン美術館、ワシントン美術館、日本でも国立西洋美術館、大原美術館、ブリヂストン美術館、ポーラ美術館など。自然に真摯に向かい、目に見える現実世界をひたすら見つめ、移ろいゆくその様相を表現することに力を注いだクロード・モネの作品は、コレクターからの寄贈や公開を通し、世界の素晴らしい美術館に所蔵されており、多くの人々の心を魅了し続けています。

アルテ・キアラの 復恍画は、モネの作品の微妙な色の陰影や筆致を再現、モネの描いた世界を日常にもたらす複製画を超えた存在として、モネ作品の愛好家の方にご好評をいただいております。ぜひご覧になってみてください。《アルジャントゥイユのレガッタ》は東京・銀座のMMM(メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド)でも実物をご覧の上お求めいただけます。

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*現在、約45営業日数の制作期間(土日祝日、イタリア・クリスマス、年末年始、夏季休暇有り)を頂戴しております。